一風変わった合格体験記

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二年前のこと。

当時の僕は、受験勉強において最も大切なのは勉強に対する考え方だと思っていた。
合格体験記を読んでその人と同じように勉強をしたとしても合格できるわけではない。
何を考えてどう行動しているのかが重要なのだ。

以下は京都大学理学部に合格した時に書いた合格体験記である。
そのまま転載する。

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「自分しかいない世界で」

目覚まし時計。
早起きのための目覚まし時計を耳の中に貼り付ける。それとよく似たことだった。
「後悔をしたことはあるだろうか。」
あんなことはしなければよかったのにとか、どうしてああしなかったのだろうとか、やり場のない不満を過去の自分にぶつけること。それを僕は後悔と呼んでいる。
後悔を否定するのは、“今の自分は何かが出来ない”という事実に対する現実逃避に、後悔が利用されるからである。
ある時、僕は後悔という選択肢を消すことに成功した。
一つの誓い。
後悔をしないための誓いを心の中に貼り付けた。
“過去、現在、未来、いつの自分も、最善を尽くし最良の判断をしている。その判断に対して、いつの自分も文句を言わない。”
本当はいつでも、当時なりに考えて、ある判断をしたはずである。その事実を認めることを誓うのだ。また、将来の姿に、現在の自分が勝手に依存してはいけない。
この誓いは単純に言えば、極限まで“今”にこだわる、というものだ。
将来の自分が後悔する資格はないから、今の自分は思い切って行動したらいい。今まで積み上げてきた何かさえも、今すぐ壊してしまってもいい。誓いによって、それが過去の自分から否定されることはない。
今まで積み上げてきたこと、思い描いた将来、将来の自分から見た現状、全てが今の自分を縛ることはない。
けれども、うまくいかない現実を過去のせいにして逃げることも出来ない。
全人生の責任が、連続する“今”に重くのしかかる。
“過去、現在、未来、いつの自分も、最善を尽くし最良の判断をしている。その判断に対して、いつの自分も文句を言わない。”
目覚まし時計を耳の中に貼り付けるように、この誓いを心の中に貼り付けてみてほしい。その瞬間から人生が変わる。
後悔をしてしまった時に、後悔する資格がないことに気付くと、否が応でも現実と向き合うことになる。
そうして“今”の自分と向き合うことが、僕はずっと大切だと思ってきた。

「どうして勉強をしなければいけないのですか。」
そう質問する生徒に、先生は答えた。
勉強はしなければいけないのではありません。したいと思うものです。美しいものに出会ったとき、人は“どうして”と考える。好奇心を失った人間は人間ではありません。そう答えた。
自分自身で合格の秘訣を与えるとしたら、僕は好奇心だと言う。
何にでも好奇心を持つこと、それ自体は多かれ少なかれ皆がしていることだろう。その好奇心に純粋に従うこと、それこそが難しいのである。
具体的に僕がした勉強を書いていく。

古文…
かつて、古文は受験科目の中で一番自分にとって必要のないものだと思っていたし、そのように言っていた。が、大間違いであった。
高三の夏休み後に、何か古文の勉強をしようと思い立ち、すぐに考え付いたのが百人一首。百首全ての暗唱と意味の解読を授業の隙間時間に行った。楽しい、美しい、もっと知りたい。純粋に和歌の世界にはまり、新古今和歌集や、歌論集も少し読んだ。それからは、落窪物語などの古典作品の現代語訳から原本まで、沢山の古文に触れた。
百人一首を始め、和歌には恋愛の歌が多く、多くの中高生にとって興味深いものだろう。だから、百人一首から古文の勉強を始めるのは、とてもいい方法だと思う。
余談だが、最後の定期考査で古文は学年一位であった。

数学…
ある問題を解いているときに、疑問に感じたことはその都度考えていた。これが大切なことだった。
思うに数学力は二つの要素からなる。それは、疑問力と解決力。疑問力とは、問題自体を見つける力であり、解決力とは、与えられた問題を解く力である。
これらは相互に依存して高まりあうものであり、その結果、数学力が高まる。
しかし、受験は解決力のみを問うものである。故に、受験数学を暗記とみることも出来る。
その中で僕は、常に疑問力を大切にしてきた。“当たり前”と言われることに疑問を持ち、“こうしてみたらどうなるのか”と思ったことを試す。
特に数学に関しては、受験のための勉強と考える人が多いように思う。しかし僕は“面白いことないかな”くらいの感覚で数学と向き合ってきた。
受験期には、オイラーの著書を読んでみたり、ガウスの黄金定理の本や、ネットにある数学のサイトで好奇心を満たしたりしていた。ただ、かっこよさそうなことを学び、面白そうなことを考えていただけだった。

英語…
とにかく、音楽や映画で英語に触れていた。
中学生の頃には、英語の歌詞を辞書で調べて理解していくという作業をよくした。
僕が目標としてきたことは、ネイティブ並みに会話をすることだ。そのために、電車などで英語圏の人を見つけると、積極的に話しかけた。
高校生の間は10人くらいと話したが、やはりいい体験になっているし、その人たちから英語がうまいと言われたことは、自信と勉強に対するやる気につながった。
受験期はイギリスのラジオを通学中によく聴いていた。今でもほとんど何を言っているのかわからない。いつかはわかるようになると信じている。

総合…
面白いことだけをしたい。そのために面白いところを見つける。そのような姿勢で一貫していた。
受験のためだけの勉強は面白くない。自分の好奇心に従い、純粋に面白いと思えることを目標にして、受験をその道の途中に置いていた。

誰かと比べ続けられる受験。
数字だけが評価に使われる。
その中で、自分がいいと思い、自分で決めたことを、自分で行い続けてほしい。勉強方法は人それぞれである。ただ、楽しみ続けるべきだとだけ言いたい。楽しみ方は人それぞれである。

「どこかが自分のようだ。」
時々、そう思うことがあった。はしゃぐ子供、話す友達、それらの中に、自分のある一面が映る。語る先生、笑う老人。ああ、これらの人々も将来の自分のある一面なのだ。
“年下の人は過去の自分、同年代の人は今の自分、年上の人は将来の自分。”
つまり、全人類が、一人の自分のある姿となっている。
そう考えて、僕は他人の喜び、怒り、悲しみ、助言などに細心の注意を払う。
また、人生の中で一人の自分は、全人類を経験していく。
“過去、現在、未来、いつの自分も、最善を尽くし最良の判断をしている。その判断に対して、いつの自分も文句を言わない。”
ここで、この誓いによって、これから歩む人生は、いつの“誰からも”文句は言われない。

今から僕は、過去の自分に語りかける。
これから、受験勉強の中で掴むものは何か。
それはきっと合格のみならず、進歩した自分。
もう後悔はできない。
だから自信を持って進めばいい。
世界中の自分のために。
過去、現在、未来、全ての自分のために。

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