ヒッチハイクで日本縦断したら人生変わるの?

Pocket

ゴールの先に僕を待っていたもの、それはマイナス10度のブリザードだった。吹き荒れるパウダースノー、一寸先は闇。途方に暮れて立ち尽くす僕に雪がだんだん積もってくる。

「死ぬなよ。」そう言ってホットカフェオレを車の窓から渡してくれた人がいた。
「ありがとうございます!」そう言った僕はかじかんで手に力が入らず、それを雪の中に落とした。

 

ヒッチハイクで日本縦断計画

今から約一年前の話である。
中国地方を一周した時にヒッチハイクの楽しさを知った僕は「次はヒッチハイクで日本縦断をするぞ」と思っていた。

そして大学の冬休みを利用して実行することにした。
まず日本縦断というのはどこからどこまでにしようかと考えた。島々を全て含めてしまうと、最南端から最北端といえば僕は沖ノ鳥島から出発しなければいけないのかもしれないが、それはヒッチハイクの旅と言えるのか疑わしいので、今回はできる限り陸続きになっている範囲での最南端から最北端に行くことにした。本州の最南端、鹿児島県にある佐多岬から、日本最北端、北海道にある宗谷岬までだ。
今回の旅で僕が目指したことは、宿泊費以外のお金をできるだけ使わないこと、そして移動は全てヒッチハイクで行うこと、の二点だった。

 

九州

鹿児島空港に降り立った僕は、まずはスタート地点である佐多岬まで向かおうと、ワクワクしてヒッチハイクを始めた。止まってくれる人は結構いて、予定通りに本州最南端の佐多岬まで到達することができた。
そこからはスムーズに、スムーズすぎるくらいに、三日ほどで九州を後にすることとなった。
ただ、本当に九州は楽しかった。
鹿児島で逆車線から僕を見つけてはわざわざUターンしてお小遣いとみかんをくれた人、別府で自宅に湧いている温泉に招待してくれた人、宇佐八幡宮や石橋の町などの観光名所に連れていってくれた人など、本当に親切な人が多かったように思う。
特に、宮崎県で僕を泊めてくれたおばちゃんはとても印象深い。彼女は時々電話で「神主様」という言葉を発していて僕はすぐに彼女が何かしらの新興宗教を信仰していることを理解したが、それは別に可笑しいことでも怪しいことでもないのだと思った。
「いろんな人がいる」という事実をただただ受け入れることができていたのだった。

 

本州

どこから来たの?と言われて「奈良です!」というと、鹿児島では「遠いところからよく来たね」と言われるが、神戸だと「すぐそこやん!」と言われる。
だから、関西あたりは高速道路で通り過ぎた。そして本州はそのまま高速道路付近でヒッチハイクしていたのですぐに通り過ぎてしまった。もうちょっと下町を楽しみたかった感はあるが、まあ早く縦断することができたので結果的に良かったのかもしれない。
4時間ぐらい拾ってもらえなかった神戸とか2、3時間拾ってもらえなかった福島とか、ところどころでメンタルがやられて、もうこの旅終わりたいとか早く家に帰りたいとか思ったこともあった。でもコンビニの前でヒッチハイクをしていたら飲み物を買って来てくれる人とか声をかけてくれる人がいて、大したことをしているつもりはないけど応援してもらっているというのがただただ嬉しかった。

 

北海道

「移動は全てヒッチハイクで」と豪語していたけど、車で青森県から北海道に行くのは無理だ。これは出発してから気づいた。結局僕は青森県の蟹田というところから北海道の木古内というところまでは電車を使った。
北海道の地にたどり着いた僕はまっすぐ宗谷岬を目指した。札幌で拾ってくれたある家族の車に乗り込み、北へ北へと進んで行く。気付けば僕は浜頓別という地にたどり着いていた。
セイコーマートという北海道ならではのコンビニでリリースされた僕は夜中にヒッチハイクを始めた。ただ、寒い。ネックウォーマーと手袋を静岡県で乗ったある車内に忘れていた僕は、外に出ることを諦めて店内で店員さんと喋っていた。
そこで僕はおっちゃんに出会った。
おっちゃんは僕に「どこに泊まるの?うちに来たら?」と言ってくれた。
そうして次の日に宗谷岬に行く友人との連絡を取り付けてくれた。

次の日、僕は宗谷岬にたどり着いた。

テンションが上がって、腰ぐらいの深さがある雪の中で一人で走り回った。
そして、僕はそのまま稚内へと向かった。

稚内で僕を待っていたもの、それはマイナス10度のブリザードだった。吹き荒れるパウダースノー、一寸先は闇。途方に暮れて立ち尽くす僕に雪がだんだん積もってくる。
なんとかしなくてはと思って一応ダンボールに目的地を書くが、こんな文字誰も見ることなど出来ないだろう。当然、警報は発令している。
電気屋さんに入って体を温めたりもしたが、その時はどうにかヒッチハイクをしなければいけないという思いで外に立ち続けた。
「死ぬなよ。」そう言ってホットカフェオレを車の窓から渡してくれた人がいた。電気屋さんから自宅に帰るらしい人だった。
「ありがとうございます!」そう言った僕はかじかんで手に力が入らず、それを雪の中に落とした。

しばらくすると僕を稚内に送ってくれた人がまた浜頓別に帰るというので、僕はまたおっちゃんの家にお世話になることとなった。
そうして僕は無事にこの旅を終えることができた。

 

ヒッチハイカーは乞食なのか

この旅でかかった食費は0円だ。
一日くらい食べないでもなんとかなるというのもあったが、ヒッチハイクで乗せてくれた人が奢ってくれたというのが大きい。コンビニ飯から、ラーメン、ボルシチ、中華、寿司、海鮮丼、パスタ、ジンギスカンまで色々食べさせてもらった。
本当にそれはありがたいという感想しかない。
特に北海道では、夜ご飯にラーメンもジンギスカンも奢ってもらったり、パスタを一人で2皿食べたり、寿司の後に袋いっぱいのお菓子をもらったりして、僕は何もあげていないのになんでこんなにもらうことができるのかと不思議に思った。
ヒッチハイクの途中、僕はヒッチハイクなんてただの乞食なんじゃないかと考えていたのだ。
交通費がかからない上に、食費もかけず、宿代すらたまにいらなくなる。
なんてお得で、なんておかしな話だろう。

乞食とヒッチハイカーは何が違うのだろうか。
多分それはビジョンがあるかどうかで、車に乗せてくれたりご飯を奢ってくれたりする人は、ヒッチハイカーが掲げる目標への応援としてそういったことをしてくれるのだろう。
実際僕がヒッチハイクで日本縦断をしたいと思ったように、他の誰かにとっても日本縦断はやってみたいことだったはずで、それが応援に値する行為だと思ったから応援してくれたのだと思う。
つまりは目標を設定している時点で、ただお腹が空いたからご飯を求める乞食とは違うように思えるのだ。

 

感想

ヒッチハイクで日本縦断をしたら僕の人生は変わったのだろうか。僕が実際にそれを終えてみて一番の感想は「誰でもできるな」ってことだった。
正直、誰でもできるのだ。
ヒッチハイクをすることには特別な能力などいらないし、思い立った次の日には実行できる。
車が止まりやすそうなところに立って親指を立てたらいいのだ。ダンボールで行き先を書くことができたらなお良い。
これまでの人生で何を積み重ねるでもなく、思い立つだけでほぼ達成したも同然だ。
だから僕はヒッチハイクで日本縦断をすることが特にすごいことだとは思わない。
日本縦断で人生がひっくり返るほどの経験も別に生まれなかったし、これを機に何か特別なことを自分は成し遂げたのだと思うこともなかった。
ただ、夢見ているだけでは無謀だと思われることが意外と簡単にできて、それは周りの人の応援があったからこそ、むしろそれのみに支えられていたということを実感した。
旅を終えると、僕に日本縦断をさせてくれた全ての人たちにただただ感謝の気持ちが生まれていて、なんだってやればできるんじゃないかと根拠のない自信が強くなっていた。

僕のやりたいことや夢はいつでも無謀だけど、所々また誰かの車に乗せてもらいながらこの挑戦が達成されることを僕は願う。

これからヒッチハイクをする人、何か新たな挑戦をする人に、僕は親指を立ててこう言いたい。
グッドラック!幸運を祈る。

Pocket