素数のどこが美しい?素数の性質のまとめ

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素数とは

素数とは「正の約数が1と自分自身の合計二つである自然数」のことである。
小さい順に列挙すると、2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, … となっている。

 

約数とは

素数の定義を見たらわかるが、素数とは何かを知るためには約数とは何かを知る必要がある。

ある数の約数とは、その数を割り切ることが出来る数のことである。
例えば6の約数は1, 2, 3, 6 であるが、これは 6÷1, 6÷2, 6÷3, 6÷6 が全て割り切れることから正しいことがわかる。
例えば 6÷5 は割り切れないから5は6の約数ではない。
これは6は5の倍数ではないとも言い換えられる。
ある数の倍数とは、その数を何倍かしたら作ることが出来る数字のことである。

ここで、ある数の約数は1と自分自身を必ず含むことが言える!
どんな数でも1で割ると割切れるし、自分自身の数で割っても割切れるのだ。

また、素数の定義において「正の約数」という言葉を用いたが、これには負の数も約数に含めることがあるためにこういう言い方をしている。
\(6÷-2=-3\)より-2は6の約数と言えるのである。

 

素数を見つけ出したい!

素数を見つけるにはどうしたらいいだろうか。例えば7が素数であるということを言うためにはどうしたらいいのだろう。
まず、すべての数に対して、それが7の約数かどうかを判定していくことを考える。
\(7÷1=7\)となって割切れるので1は7の約数である。
\(7÷2=3\)余り\(1\)となって割り切れないので2は7の約数ではない。
7÷3 も割り切れないし、7÷4 も割り切れないし、7÷5 も割り切れないし、7÷6 も割り切れないので、3, 4, 5, 6 は7の約数ではない。
7は7の約数である。
8以上の数についてだが、これらは7を割り切らない。
例えば15の場合は\(7÷15=0\)余り\(7\)という風になって、割り切れることはないのだ。
よって7の約数が1と7のみということがわかり、7が素数であることが言えた。

実際には、素数であるかどうかを判定するためには、自分よりも小さい素数で割り切れるかどうかを判定するだけでいい
それは、ある数がある素数の倍数で割り切れるとすると、その素数でも割り切れることが言えるからである。
例えば、確かに\(333÷9=37\)だから、9は333の約数なので333は素数でないことが言えるが、そもそも9の約数で素数である3も333の約数なので、素数ではない9が約数であることなど確認しなくても、333が素数であることを確認できるのである。
素数ではない数は合成数というが、合成数はある素数の倍数として表せることに注意が必要である。

 

どうして1は素数じゃないのか

素数の定義を「正の約数が1と自分自身のみである数」とすると、1は素数なのではないかと思うかもしれない。
実際、素数の定義を教えた時に、1を素数に含めてしまう人は少なくない。
まず結論を言いたい。

「1が素数であると言うこともできる」

この事実を知っている人はどれだけいるだろうか。そしてこれが何を意味するのか説明することができるだろうか。

 

素因数分解の一意性

1が素数ではないと主張する人たちの大半はこう言っている。
「すべての自然数は素数の積に一通りに分解される」という素因数分解の一意性によって、1は素数でないことが言える。
つまり、1が素数だとすると、すべての自然数が素数の積に一通りに分解されるという素因数分解の一意性が崩れてしまうと言うのである。
例えば\(6=2×3=1×2×3\)のように6が2通りに分解できてしまうのはおかしいと言うのである。

まず、「すべての自然数は素数の積に一通りに分解される」と言う主張だが、明らかに誤りがある。正しくは「1以外のすべての自然数は素数の積に一通りに分解される」である。
1を素数としない以上、1が素数の積として表されることはない。
そして、素因数分解の一意性は、素数を定義して初めて議論することができる話であり、1が素数であるかどうかを判定する時に使うべき性質ではない。

 

1が素数でもいいじゃないか

素数の定義を「正の約数が1と自分自身のみである数」として、1も素数とする。するとどうなるのか。何か矛盾が起きるのだろうか。矛盾が起きるとすれば、1が素数であることは否定される。

1を素数と改めて定義した以上、それに付随して素因数分解の一意性の記述方法も少し変えなくてはならない。このようにしてはどうだろうか。
「すべての自然数は素数の積に一通りに分解される、ただし1の個数を同一視する。」
これは何の矛盾も引き起こさない。6の素因数分解の例で言えば、\(2×3\)も\(1×2×3\)も\(1×1×2×3\)も同じものとみなすと言うことだ。これで素因数分解の一意性は保証される。
また、1も素数の積によって表すことができている。

このように素数を定義し直すと、ある文脈では「1を除いた素数において」のような注釈が必要となるが、1を素数と定義したことによって何かが矛盾すると言うことはない。

つまり1が素数でもいいのである。

ここで1は素数であると主張しているわけではない。1が素数かどうかというのは本質的な問題ではなく、あくまで形式上の問題であるということが言いたいのだ。
素因数分解の一意性が「1以外のすべての自然数は素数の積に一通りに分解される」であったり「すべての自然数は素数の積に一通りに分解される、ただし1の個数を同一視する。」であったりと素数の定義によってさまざな命題の文言は変わるが、それが命題の主張せんとすることを変更するわけではないのである。

「1は素数じゃないのはなぜ?」と質問されて「そういう定義だから」と答えることは、投げやりに見えて正しいことなのである。

単に、1を素数だとしない方が様々な命題をシンプルに記述できるという判断が歴史的に浸透してきた故に、1を素数だとは言わなくなったのだ。
確かに、1を素数だと再定義したとしても、1と他の素数の性質は大きく異なるので、「1を除く素数」という言い回しが多く必要となるだろう。

1は乗法における単位元である(\(2\times 1=2, 1\times 7=7\)のように0以外の数と1を掛け合わせても変化しない)ために、こういった問題が生じるのである。

 

素数は無限にある

素数は一体無限に続いているのだろうか。それとも一番大きな素数がいつかは見つかる運命にあるのだろうか。
答えは、「素数は無限にある」である。

 

ユークリッドの証明

ユークリッドによる証明は以下のようになっている。

素数の数が有限だとする。すると最大の素数があるはずである。今、すべての素数を掛け合わせた数に1を足した数を考えるが、その数はすべての素数について割り切れない。つまり素数である。これはさっき最大の素数とした数よりも大きい。これは矛盾である。よって素数の数は有限だという仮定は間違っており、素数の数は無限である。

このように素数は無限であることが証明されており、複雑な理論を用いなくても証明されていることがわかる。

 

位相を使った証明

素数が無限に存在することの証明はいくつかあるが、フュルステンベルグによる証明は鮮やかで、ある種本質的だと思われる。

理学部だと大学一年時に習うような位相という分野の知識だけで証明することができるのだが、位相幾何学における基本単語の説明ばかりになってしまうので今回は具体的な証明は書かない。
ただ、本質的だと書いた理由のみを述べておきたい。

有名な素数の発見方法にエラトステネスのふるいというものがある。
これはどういうものかというと数字のリストを用意して「素数の倍数を消していく」という行為と、「残った数のうち最小のものは素数である」という判断を繰り返して、素数を発見していくというものである。
この素数の発見方法はいわば素数を「残り物」または「隙間」としてみているのだ。

そしてフュルステンベルグによる証明は、このエラトステネスのふるいを位相という道具を用いて説明した時に見える景色と同じなのではないかと思われる。

エラトステネスのふるいによって素数と合成数を分類していくと使用したリストからは隙間が消えていくはずだが、もしも素数が有限個ならばそのリストからすべての隙間を覆い隠すことはできなくなる。そういったイメージである。

 

素数はどのような頻度で現れるのか

素数が無限に存在することは証明できたが、実際に自然数のうちどれくらいの割合で素数が登場するのだろうか。
それを記述する素数定理というものが存在する。
ある自然数\(x\)以下にある素数の個数は、\(x\)を大きくすると

\(\frac{x}{\log x}\)

に近似されるというものである。

この定理によって、ある自然数の範囲にどれだけの素数があるかということは、大体知ることができるのである。

 

素数のどこが美しい?

ここまで読み進めて、やっぱり素数は美しいなと思っただろうか。それとも素数の美しさはわからないと思っただろうか。
これから素数の美しさを二つの観点から説明しようと思う。

 

すべての数字は素数で出来ている

素因数分解の一意性という話が出たと思うが、1を除いてすべての数は素数の積で出来ている。
これが素数を美しくさせる要因とも言えるだろう。
すべての数字は素数によって作られているのだ。それは素数が無限にある数の中でも特別であり美しさを感じるのに十分な理由だろう。

 

誰も素数を予想することはできない

素数を生み出すことができる式というものは存在しない。
オイラーが発見した\(f(n)=n^2+n+41\)という式は\(n=0,1,…,39\)において40個の素数を生み出しているが、このような規則性によって素数全てを記述することはできないだろう。
素数の出現は法則を持たないと思われることが、素数を美しいものにしているのだろう。
そして、その無秩序の中に存在する素数定理のような秩序が、驚きを伴って素数自体の神秘性を決定付けているのだ。

 

最後に

素数は神秘的で美しい。
その美しさが理解出来るようになれば、きっと世界は違って見えるだろう。
今晩は羊を数える代わりに素数を数えて眠りについてみてはいかがだろうか。
きっと明日の朝の景色が違って見えるだろう。

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