ララランドを観て号泣するなんて、夢見がちなバカだ。

ララランドを観て号泣するなんて、夢見がちなバカだ。
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ふとしたきっかけで観ることになったララランド。

一度だけ横目で見た予告動画も、あまり胸に響かなかったのを覚えている。

渋滞の高速道路でいつの間にか始まる訳の分からない歌とダンス。

はっきり言って僕はこの時、とても驚いていた。

なななんと気持ちのいいオープニングなんだ!!!

 

あっさりした序盤

オープニングの音楽で既に心が踊って感動で涙を流しかけた訳だが、物語が実際に進行すると言ってしまえばつまらない序盤が続いた。

いい歌は歌っているけど、グッとくるシーンもなく、ただ平凡な日常が続いていく。

夢見る二人が出会い、夢に向かって進む二人。

何も感動することのない序盤が続いた。

ただしこれはララランドを批判している訳ではなく、全くそんなことはなく、今にして思うとこのつまらない序盤によってこの映画は素晴らしい作品として完成しているのではないかと思うほどうまく出来た序盤だったのだと思う。

 

感動の中盤

自分の夢と引き換えに成功を掴むセブと、なかなか才能が開花しないミアがすれ違う中盤。

感動で涙が止まらない。

そしてミアがついに夢への切符を手にしたオーディション。

Here’s to the ones who dream. 夢見るものに乾杯。

あの歌が始まった時は震えた。

 

ひねったラスト

5年の月日が流れ、別々の道を歩むことになった二人だったが、それぞれの夢を叶えた二人が出会う。

そしてセブが弾くピアノの中で、物語が回想されていく。

あれはどういう意味なのかというのがすぐには分からなかった。
そして、あのシーンの真相がわからずとも、十分に満足していたのだった。

帰り道、余韻に浸ってダンスをしていると、全ての謎が解けたのだ。
スキップをしながら、「あ!」と声をあげた。

セブがレストランでの仕事をクビになった時に急に出会ったばかりのミアにキスをしたという謎のシーン、セブがミアの舞台を観て大勢の観客と共に拍手をするシーン、セブとミアの子供が生まれるシーン、そしてセブとミアがジャズのお店に入っていくシーン。

全てがなんのことかわからなかった、というのも全て現実と全然違うことが起きているからだ。

ただ、それがあのシーンを読み解く鍵でもあったのだ。

あれらのシーンはセブが勝手に頭の中で再現していた妄想、もっと言えばセブが望んだ現在であったのだ。

セブは至る所で素直になれなかった過去を嘆いていた、又は悔やんでいた。
ミアと思いっきり肩をぶつけたことや雑誌の取材があるからとミアの舞台に行けなかったことなどを思い返して、あの時ああしていればよかったのにと考えていたのだろう。

思うに、このシーンを見てすぐにこの考察が思いつかなかったのは、セブの回想があまりに軽快に嬉々として進行したからではないだろうか。
ピアノを弾きだした時には哀愁溢れていたのに、回想が始まるとそういった様子は全くなかったのだ。

セブにとってあれがハッピーエンドと言えるかどうかは難しいが、この映画を観終わった頃には、いっちょ何かやったるぞという気持ちや踊りだしてしまいそうな高揚感に包まれて、とても清々しくなった。

 

最後に

  • 英語がすごく聞き取りやすかった。
  • ミュージカル調だが、会話が全て音楽に乗っていると言うわけではなかった。

って言うのが嬉しかった!

この映画はオススメです。

それでは。

Here’s to the ones who dream!

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