数学で宇宙を考える

数学で宇宙を考える
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宇宙が出てくるまで

京大理学部の授業で代数学演義というものがある。週一で演習問題が配られるのだが、突然「宇宙(ユニバース)」が出現して笑ってしまった。

京都大学理学部数学科は哲学をするところだとか言われることがあるのだが、その片鱗を感じた。

 

ユニバースとは

数学、とりわけ集合論や数学基礎論における宇宙とは、特定の状況において考察される実体のすべてを元として含むような類のことである。
「宇宙(数学) – Wikipedia」より

なにかすごい大きな集合を感じる。
数学における宇宙(ユニバース)と、実在する宇宙との関係性に関してはここでは考えないことにしよう。

「宇宙という集合は宇宙自身を含まない」こう言い換えるだけで何か神秘的な響きに聞こえる。

この問題の証明は意外と単純で、正則性公理から直ちに導かれる。
正則性公理というのは、どんな集合\(x\)に対しても
\(x\ni x_1\ni x_2\ni …\)
という無限下降列は存在しないという公理だ。
もしも集合が自分自身を含むことがあれば
\(x\ni x\ni x\ni …\)
こういう風に無限下降列が存在してしまうことになるのだ。
つまり、自分自身を含む集合というものはない!(自分自身を含む「集まり」は「新クラス」というものに分類されるらしい。)

正則性公理を認めなければ自分自身を含む集合は存在しうるのだろう。
ただ、現在の数学ではそのような対象を考える場面はでてこないみたいだ。ここではあまり深入りしないでおく。

この問題を考える上で集合の公理系について調べたり、「自分自身を含む集合」と検索するとラッセルのパラドックスが登場したりしたので、それらを紹介する。

 

集合の公理系

ツェルメロ=フレンケルの公理系(ZF公理系)や、それに選択公理を付け加えたZFC公理系というものが現在よく知られている。
公理というのは「何を当たり前と考えるか」という取り決めである。
例えばZFC公理系の中の「空集合の公理」というものは、要素を一つも持たない集合が存在するという公理である。
ZF公理系における前提として「対象は全て集合である」というものがある。
先ほどのプリントにおいても、ユニバースの元は全て集合であるとしていた。
そして自然数(ここでは自然数に0を含める)の集合を
\(\mathbb{N}=\{0,1,2,3,4,…\}\)
のように定義するのではなく、
\(\mathbb{N}=\bigl\{\emptyset,\{\emptyset\},\{\{\emptyset\}\},\{\{\{\emptyset\}\}\},\{\{\{\{\emptyset\}\}\}\},…\bigr\}\)
のように定義している。こうすることで、自然数を全て集合として表すことができるのである。
0は空集合で、
1は空集合という集合を元に持つ集合で、
2は空集合という集合を元に持つ集合を元に持つ集合で…といった風である。

 

ラッセルのパラドックス

ラッセルのパラドックスというのは、
\(\{x|x\not\in x\}\)
という集合を考えた時に、矛盾が生じるというものである。
この集合は言葉で言うと「自分自身を含まない集合全体」である。

この集合が自分自身を含まないとすると、条件より自分自身を含むことになるし、
自分自身を含むとすると、条件より自分自身を含まないはずである。
よってこの集合は自分自身を含んでも含まなくても矛盾となる。
これがラッセルのパラドックスだ。

「この文章は間違いである。」
といった例もこのパラドックスと似ている。この文章が正しいとするとこの文章は間違いであるし、この文章が間違いであるとするとこの文章は正しいということになるのだ。

 

素朴集合論における仮定

ラッセルのパラドックスが生じてしまうのは、この世が矛盾に溢れているからではない。
素朴集合論と呼ばれる、直感的な公理によって集合を形成する理論には矛盾があることを示唆するのである。
素朴集合論では
\(\{x|P(x)\}\)
といった集合が必ず存在することを仮定している。
つまり、ある条件を満たす「ものの集まり」は存在するという公理を認めているのである。これは内包公理と言われ、これがラッセルのパラドックスを引き起こすのだ。

 

最後に

数学基礎論は奥が深くて楽しそうだ。それこそ哲学に近いように思う。もっと勉強して、このブログでこれからもアウトプットしていきたい。

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