映画「マチネの終わりに」の石に秘められた意味。感想と考察。

映画「マチネの終わりに」の石に秘められた意味。感想と考察。
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3秒前には考えられなかったような行動。

例えばふとした時に街路沿いの石のブロックに腰をかけるようなそんな突拍子もない出来事を経験する。

そんな感じで映画「マチネの終わりに」を観てきた。

とても良かった。

以降はネタバレあり・説明なしの日記です。

派手な音楽も元気なダンスも奇抜な設定もこの映画には無い。そういった喧騒とは少し離れた路地裏で聞こえる静かなメロディー。それが本作だ。

福山雅治さんが演じるミュージシャンのマキノさんと石田ゆり子演じるジャーナリストのヨーコさんが主役でマネージャーのミタニさんがキーパーソンだ。

映画内でも皆さんがよく英語を喋っていたのでカタカナ表記にしておく。

福山雅治さんは全体を通して顔がずっとかっこよくて驚いたし、石田ゆり子さんはおっとりとした美しい声でジブリ映画のセリフを喋っているようだった。

映像がとても綺麗で家具や庭など登場するそれぞれのセットが美術作品のようだった。

マキノさんは他者に対して怒ったりしない、現実を受け入れる器の大きい人物であった。

そして「人は未来しか変えられないと思っているけど、これからどう生きるかによって過去の解釈も変えられる。つまり過去も変えられるんだよ」というのが本作のテーマである。

「そんなことはわかっている」とある人は思うかもしれない。ただ、何かメッセージを伝えるということと、そのメッセージをストーリに乗せて実感させるということには雲泥の差がある。

偉人の名言集なんていう本を購入したとしても、それらがストーリーを伴わない場合には、実際に意味が伝わったとは言えないだろう。

ヨーコさんが小さい頃にその上でよく遊んだというおばあちゃんの家の石。

彼女の中でそれは良い思い出であったが、おばあちゃんが庭でその石に頭を打って命を落とすことになった。

その話をした時に、マキノさんは「人は未来だけではなく、過去も変えられる」という上記の話をしたのだ。

ヨーコさんの中で、良い思い出だった石が祖母の死によって良い思い出のままではいられなくなったのだと解説したのである。

そして数多のすれ違いを経て離れ離れになったマキノとヨーコであったが、その中でとても印象深いシーンがある。

映画の最後にニューヨークでマキノさんがコンサートを開いた際のことだ。

ヨーコさんはマキノさんのコンサートに行く決心は着かずにいた。

しかし街路沿いの石のブロックを見て、マキノさんの言葉を思い出す。「未来だけではなく過去も変えられる。」と。

勇気をもらったヨーコさんはコンサート会場に急いで向かった。

作中を通して、石が映画のまとまりを支えたのだと思う。ヨーコにとっては良い思い出ではいられなくなった石であったが、マキノが「過去も変えられる」と教えてくれたきっかけになったので、石に対する思い出は最終的に良いものになったのである。

こうした意味で、石を見て勇気を出したヨーコ、その過去を変えようともがく姿はとても美しかったと思う。

この映画は恋愛映画に分類されるだろうから、細かい展開でキャッキャと楽しくはしゃぐことは出来るだろうけれども、それはここに書くことではないので、そろそろを筆を置く。

個人的には結構良い映画だと思ったので、ぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

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